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江戸の「松風」私論  山田維史

        江戸の「松風」私論    山田維史     「松風」といえば「源氏物語」の十八帖「松風」を連想する人は少なくないであろう。須磨の浦のいわくありげな松にまつわる海女の物語である。能の「松風」も同じ伝説をもとにした女の恋の妄執の物語である。恋に狂い死んだ松風と村雨という名の双子の汐汲み女の墓が、須磨の浦の松だった。  松は海からの風避けのためや防砂林として浜辺に植えられることが多かったこともあり、景勝地として広重の「東海道五十三次」にも描かれた静岡市の三保の松原、万葉集に詠まれた敦賀市の気比の松原、あるいは羽衣伝説がある天橋立の松原など、各地に海辺の松原の名所がある。唱歌「海」は、作詞作曲者は不明ながら、「松原遠く 消ゆるところ 白帆の影は 浮かぶ」と、知らない人はいないほど親しい歌である。「磯部の松」という成語もある。須磨の浦の松も、身も蓋もない言い方だが、元はといえばそのような磯部の松、浜の松だったのだろう。  私はこの稿で、江戸時代の俳諧において「松風」がいかなる感性で表現されたかを検証する。平安、鎌倉、室町と時代を経てその表現に変化があったのかどうかを、各時代の文芸作品を瞥見して比較検討する。  片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典』 (増訂版・笠間書院) は「松」の項に、「松の梢を吹く風、つまり松籟も云々」と述べ、拾遺集雑上の斎宮女御の歌と新古今和歌集雑中の藤原家隆の歌を例示している。すなわち、   琴の音に峰の松風かよふらし    いづれのをよりしらべそめけむ  斎宮女御    (琴の音に似通う松風はどんな緒締めで奏ではじめるのだろう)   滝の音松の嵐も馴れぬれば    うち寝るほどの夢は見せけり  家隆    (滝の音も松の嵐も慣れてしまえば寝て夢をみるように風雅な夢をみさせてくれる)  『拾遺集』 (一〇〇六年頃か) は勅撰和歌集の第三番目であるが、最初の『古今和歌集』 (九〇五年) には、「松風」という成語の歌はない。あえてとれば、巻七卷賀に素性 (そせい) 法師の歌として次の一首がある。ちなみにこの歌の作者は、一説に柿本人麿とある。   住の江の松に秋風吹くからに    声うち添うるおきつ白波  素性法師    (住之江の松に秋風が吹くとその音に沖の白波の声が添って聴こえる)  素性法師の生没年...